都市の景観――外見と内実
都市はもともと人工的なものだが、さらに人為的に都市を造ろうとしたときには、土地の範囲を定めて、必要な機能を有する構造物の形態や配置を考えるので、建築家が多く関わった。しかし都市は普通の個別建築より規模が大きく、特に基盤となる土地について、道路や交通、上下水道、ガス、電気、通信網をどう組むかは技術的専門性が高く、土木技術にも都市計画分野が発達してきた。私が40年前に都市工学として学んだ学科では、計画系と言われた方が定員は多く、交通計画以外は建築出身の教授陣で、衛生系と言われた水関係は公害問題もあったので、化学出身もおられたが、土木出身教授が主だった。
都市工学は欧米の大学では大学院での専攻分野で、学部段階で学科を設けるのは専門性が十分に育たないのではないかという議論があったという。今では専門にまたがる新しい分野への融合は珍しくなく、むしろその必要性が強調されることが多いが、教育される学生にとってという面からの自問だったのだろう。そうした試行錯誤段階の教育を受けて社会に出てみると、都市計画というのは公共性が強調されることもあり、道路を主とした土木系が主流という印象だ。建築系で大きかったのが住宅関連で、当時は住宅難の解消を目指して設立された公共性の強い組織として住宅公団などがあり、大規模なニュータウン建設も手がけていたので、住宅棟の配置などに都市計画の視点が要求される面はあった。
その後、住宅系はほとんど民間開発に委ねられるようになり、建築系都市計画の適用場面は、住宅だけでなく商業・業務機能も含めた総合的な面開発に移ってきた。都市域の拡大も、人口圧力が減って一段落し、むしろ既成市街地の再生や再開発に注目されるようになった。経済活動の発展を象徴するような高層ビル群の形成は、土地の高度利用と既存の低層の街並みとの間に軋轢を生み、日照権問題を起こすなどの権利関係の調整を難しくしてきた。技術的な問題というよりは、公共に権力を委ねる社会的合意があるかの問題が大きい。「景観」の視点は、既成市街地の調和を求める建築系都市計画からの問題提起とも言えるだろう。
建築は建造物としての構造や設備など技術的側面と同時に、形体や色、材質などのデザイン面も大きく、建築学科も工学部だけでなく、芸術大学にあったりもする。デザインを日本語にすると「意匠」となるようだが、「設計」そのものの意味にも使われる。装飾を排した機能美を求める場合もあるからだ。外見で判断するなという価値観の一方で、国際化、多様化の時代には外見の示す意義は大きくなって、デザイン重視の傾向は強くなっている。デザインには作った人の思想や主張も込められて、見る人に語りかけたりもするのだ。その意味で都市景観を法規制して、多くの人に街並み造りに関心を持たざるを得なくすることは、都市生活の協調性を求めることにもつながっている。
デザインの良い悪いは主観的な感性の問題で、法規制には馴染まないという見解の方がこれまでは多かったかもしれない。日本の都市を訪れると、制服を好み、協調性を重視するのは国民性とも言えそうなのに、街並みは清潔ではあっても、建物が個々バラバラで乱雑という印象を、外国人観光客は持つだろう。整然とした街並みにならないのは、道路や街区が揃わずに、建物の向きが一定しないからだという。まさに都市計画は街路計画なのかもしれない。このところの景観法に基づく条例では、建物に使用できる色や彩度を制限したり、文化的、歴史的価値のある主要な建物に向けて視覚を守り、その角度の範囲内には、ある高さ以上は建てられなくするなどの規制をするようだ。建築自由の私権制限は難しいとされてきたが、整然とした街並みを求める人が多数派となれば、欧米の建築制限がより厳しいことを見ても、規制は可能なのだ。
しかし日本で「計画的な都市」という場合に、良いイメージが持たれるかは微妙だ。もちろん平城京、平安京の昔から計画の歴史はあって、道路基盤の整備に計画性が求められることは誰もが承知しているだろう。きちんと宅地開発された住宅地は、年を経ても資産価値は下がらないことも知られている。古くは田園調布など大正時代の開発は、イギリスの田園都市思想の流れを汲むことで有名だ。しかし消防自動車も入れないような路地に郷愁を持ち、都市のすべてが幅4メートル以上の街路となるのは残念に思う人が多いかもしれない。都市計画には軍事的側面があるが、歴史的に古い城下町などは、攻め込まれたときに一気に本丸に到達しないよう、行き止まりや迷路のような街路形成をしていたという。逆にパリの大改造は市民革命や暴動でバリケードが組めないように、広いブールバールを造ったとも言われるから、権力との関係でどちら側に立つかで、迷路の郷愁は日本だけではないのだろう。
むしろ昔ながらの街並みを壊して、広い街路を造ろうという「計画」を受け容れず、施行に至らないまま整然とした街並みが形成されないできたのは、地震を始めとする自然災害が多く、火災で灰燼に帰す木の文化のために再興に時間をかけられなかったこれまでの歴史を理由とする見解があるが、計画を押し切れなかった権力の弱さもあるのではないか。民意を代表する権力が、私権を制限して実現する計画案に必ずしも同意できなかったという意味では、歴史風土の影響を見ることもできる。韓国や中国の都市で広い街路や再開発の実現を見ると、独裁政権の威力を感じるので、日本の都市の雑然とした景観は、民意重視の反映の結果と言えるという気もしている。
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