少子高齢化の未来
日本の人口は2004年にピークとして減少局面に入り、戦後半世紀余の間に1.7倍に増加した5000万人分を、今後、半世紀余りをかけて失おうとしているらしい。人口の数が元に戻るだけなら問題はなさそうだが、人口構成として高齢者の比率が大きくなり、現役で働く若年層が少ないことから社会を支えきれるかが問題となっている。高齢者の年金を現役世代が積み立てる金額で賄うことを基本とした仕組みが、時代に応じて変更できなければ、一層、問題は深刻である。高齢化が問題となることは情報化、国際化と並ぶ計画上の課題として相当以前から言われていた。4半世紀は経っているだろう。
その高齢化に少子化が重なったのは、イエ社会の継続を予測したのと同じように、社会において女性が果たしていた役割への洞察を欠いた結果だったように思う。つまり社会は、砂利と砂とセメントと水から成るコンクリートを例にすれば、砂利は粒揃いよりも、多様な大きさの方が強度が出るように、隙間に入り込むような役割を黙々とこなす人の存在が重要なのだ。日本女性の評価が高いのは、無私の精神で社会に欠かせない役割を負ったところによるだろう。
男女平等の日本国憲法の精神は、性別によってその役割を負うことを当然としないことであって、役割自体を不要とすることではない。女性が担っていた家庭における役割は、産業社会においては過少評価されて未来展望から抜け落ちていた。日本女性の社会進出が遅いのは、階級格差がなく平準的であるため、家事の社会化が高コストになることも影響している。欧米社会の高学歴女性は、外国人のベビーシッターを雇うなどの補完が可能だったようだ。日本では今、保育園の待機児童の解消などの少子化対策が、ようやく本気でされるようになってきた段階だ。
高齢化は社会としての年金負担が大きくなることも問題だが、世論形成上の影響も見逃せない。年長者を大切にする儒教的背景もあって、新しい時代に応じた考え方への変化に適応しにくくなりがちである。高齢者の経験の積み重ねからくる価値観のうち、次世代に引き継ぐべきものと捨てるべきものの区別は難しい。高齢者自身が積極的に過去を振り返って、集団の中で多様な見方があることを前提にした評価を試みるべきなのかもしれない。
65歳以上で高齢者の仲間入りをするらしいが、団塊の世代が還暦を迎えている現在は、従来のようにリタイアして社会の主要な構成員から外れるということではなく、経済一辺倒でない多様な価値をバランスすることができる本当の社会人となることを目指して、次世代に貢献すべきだろう。ボランティア元年と言われたのは、1995年の阪神淡路大震災の時である。善意だけでは社会貢献にならない。ミーイズムとは対極のこころざしがあったとしても、それを実現するためには組織的な仕組みが必要だということが、社会的に意識された年であった。
ボランティアの語源は「自発性」である。自ら考えることの重要性は学校教育でも言われ、総合学習などの形をとってきて、我々世代の受けた学校教育とは隔世の感があるが、それでも欧米の教育に比べると自由度が少なく、受け身の学習が多いようだ。新聞記事で読む欧米との比較や日本で教育を受けた欧米人の話からの印象だが、私自身が小学生の子供を連れて夫の海外赴任に伴った4半世紀前の体験がベースになっている。そのあたりに無意識だった我々世代こそが脱皮して、仕組み作りに力を貸すべきだと思う。
イエ社会は核となる家族がその実体を失って、集団の形も変わってきてしまったとすれば、これからの日本社会の未来を支える相互扶助の仕組みは、どのようなものになるのか。安定的な帰属感をもてるイエのメリットと裏腹な閉鎖性は、よそ者にとってはデメリットだろう。相互に顔の見える親密さはきめ細かいコミュニケーションが可能で安心感があるが、相互交流自体に時間とエネルギーを要して煩雑ではある。しかし試行錯誤はあるにしろ、程よいバランスの集団に組み替えることは可能ではないか。理論上は欧米型コミュニティに近いものになるのかもしれない。
欧米型と一口に言っても、大きくはアングロサクソン系と大陸系、大陸系もラテン系とゲルマン系で家族やコミュニティの作り方は違うのではないか。ユダヤ系もまた異なるだろう。日本的イエ社会をどのように変貌させるかは、これからのリタイア世代が担う課題だろう。我々世代は日本を戦争に導いた上の世代への反発に並行して、共産主義、社会主義への警戒感の圧力があり、具体的なコミュニティのイメージについての検討の機会を持てずにきたように思う。自由な発想でバランスを見出すよりは、過去からのトレンドで多少の修正をするか、過去の全否定だったのではないか。私の学生時代の大学紛争はパリの大学など世界と軌を一にしているが、紛争によって獲得した成果は対照的に思える。日本はその後、浅間山荘事件などで羹に懲りてしまって、大学改革は直ぐには目に見えた形にならなかったようだ。
| 固定リンク
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 地方都市の現状(2009.07.02)
- 依存と自立(2009.06.21)
- 中景の未来図(2009.06.09)
- 共同体としての地方自治体(2009.05.27)
- 都市計画審議会の公募委員(2009.05.17)


コメント